2019.09.19
いつもマイタウン西武のブログを拝見していただきありがとうございます。 営業の三浦です。 昨日、お休みを利用して毎年恒例の神社へお参りをしてきました。 毎年、年始を合わせると年三回お参りに行きますが、 そこで、商売繁盛・出世開運・健康祈願などを必ず祈願してもらっています。 その神社は、高麗神社(こまじんじゃ)と言って埼玉県日高市にあり、 内閣総理大臣に就任した政治家が相次いだことで、「出世明神」で有名な神社です。 高麗神社は、高句麗からの渡来人 高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を 主祭神として祀る社で、天智天皇5年(666)年、連合した唐と新羅は 隣国の強国、高句麗の征討を開始しました。 高句麗は危機的状況の中で外交使節団を大和朝廷へと派遣します。 『日本書紀』には「二位玄武若光」の名が記されており、 若光が使節団の一員として日本へと渡来した事が分かります。 668年、建国から約700年間東アジアに強盛を誇った高句麗は滅亡し、 若光は二度と故国の土を踏むことはありませんでした。 その後、大和朝廷に官人として仕える若光の名が文献に表れるのが 『続日本書紀』大宝3年(703)年3月 「従五位下の高麗の若光に王の姓を賜う」です。 姓(かばね)とは、それぞれの家柄を定めるために大和朝廷が授与する称号、 王(こきし)の姓は外国の王族の出身者に与えられていたもので、 若光の渡来から半世紀を経た霊亀2(716)年5月16日、 大和朝廷は駿河(静岡)、甲斐(山梨)、相模(神奈川)、 上総・下総(千葉)、常陸(茨城)、下野(栃木)の七国から 高句麗人1799人を武蔵国に移し「高麗郡」を創設。 (続日本書紀巻第7の記述) この時、若光は郡の長官に任命されました。 若光は郡内の高麗人をよく指揮し、未開の地を開発し、 この地で波瀾の生涯を終えました。 郡民はその徳を偲び、その霊を祀り、高麗郡の守護神として、近代に至り、 この史実に惹かれ、政治家、文学者、歴史家ら多くの参拝者が訪れ、 現在では様々な分野で活躍を目指す人々の崇敬を集めているそうです。 皆様も一度その歴史に浸り、ご参拝してみてはいかがでしょうか? きっと御利益があるのではないかと思います。
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