2023.07.09
マイタウン西武ブログをご覧の皆様 営業の柳沼 剛(やぎぬま たけし)です。 前回、私のブログでは西武鉄道の歴史について書きましたが、今回は弊社の得意エリアでもある『西東京市』の歴史について書きたいと思います。 (市のランドマークといえるスカイタワー西東京・通称田無タワー) (ちなみにこの田無タワー1989年6月に完成しています) 西東京市は遺跡が多く発掘されており、旧石器時代から人が住んでいた事がわかっています。 飛鳥時代には武蔵国が設置され田無地域は多摩郡、保谷地域は新羅郡に属していました。 また、市内の西原遺跡から奈良時代の土器が、坂下遺跡からは平安時代の土器がそれぞれ出土されています。 市内北部を流れる白子川の流域に下保谷、中部を流れる新川の流域に上保谷と田無の集落が形成されました。 1559年(永禄2年)の文章(小田原衆所領役帳)には『保屋』『田無』の文字が見られ、この頃には保谷、田無の地に集落が成立していた事がわかります。 その後、1600年頃に江戸城造営のための石灰運搬のため青梅街道が開削され田無にはこの街道の宿駅が置かれました。 一方、保谷では亨保期(1716年~1736年)以降に下保谷新田(現在のひばりが丘周辺)と上保谷新田(現在の新町周辺)が開墾されました。 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行に伴い、当時の下保谷村、上保谷村、上保谷新田村が合併し保谷村が設立し、一方、田無では、この少し前1879年(明治12年)に田無村が町制を施行し田無町になりました。 戦後の1959年(昭和34年)には、日本住宅公団最大の公団住宅であるひばりが丘団地が保谷町・田無町(および久留米町)にまたがる地域に造成されるなど両市ともに順調に人口が増加し、1967年(昭和42年)には保谷町、田無町ともに市制を施行して、それぞれ保谷市・田無市となりました。 旧保谷市は旧田無市の北、東、南を囲むような形をしており、特に南部が細長い市形となっていたため、行政効率などの点で田無市との合併が古くから考えられており、2001年(平成13年)1月21日に保谷市と田無市が合併し、『西東京市』が発足しました。 また過去(1960年代)には田無、保谷、久留米(現・東久留米市)の3町での合併構想もあったみたいです。 少し長くなってしまいましたが、西東京市の歴史について書いてみました。 自分の住んでいるとろの歴史を調べてみると新しい発見があり面白いと思います
2023.01.09
マイタウン西武ブログをご覧の皆様 営業の柳沼 剛(やぎぬま たけし)です。 前回、私のブログでひばりが丘駅について書いたのですが、今回は前回も少し触れた『西武鉄道』について書きたいと思います。 西武鉄道は、現在の池袋線系統の路線を開業した『武蔵野鉄道』が、新宿線系統の路線を開業していた西武鉄道(旧)を合併して出来た会社です。 その『武蔵野鉄道』は1911年(明治44年)に鉄道免許を取得し、1915年(大正4年)4月15日に現在の池袋線の一部である池袋駅 – 飯能駅間を開業しました。 1922年(大正11年)に池袋駅 – 所沢駅間、1925年(大正14年)に飯能駅までの全線を電化し、1929年(昭和4年)に吾野駅まで開業させ、西武豊島線は1927年(昭和2年)に、狭山線は1929年(昭和4年)に開業しました。 一方、西武鉄道(旧)は川越鉄道に始まります。 川越鉄道は、甲武鉄道の関連会社として1892年(明治25年)に設立され、1894年(明治27年)に現在の西武国分寺線である国分寺駅 - 久米川(仮)駅(現在の東村山駅)間を開業させたのが始まりです。 さらに、川越鉄道は1895年(明治28年)に、現在の西武新宿線の一部である久米川(仮)駅 - 川越駅(現在の本川越駅)間を開業させました。 車両については、1963年(昭和38年)11月1日からは、他社ではまだ6両編成が最長で、しかも18m級車両で編成を組んでいた時に、西武鉄道では池袋-所沢間に日本の私鉄で初めて10両編成を走らせました。 1969年(昭和44年)に西武鉄道のイメージである「黄色い電車」の第1号となる101系 が登場しました。 現在では黄色い電車の他に、新型車両のS-TRAINをはじめとする9種類の車両が走っています。 (この車両についてはまた、いつか書きたいと思います) 簡単に西武鉄道の歴史を書きましたが、この歴史を感じながら西武線に乗ってみるのもいいかもしれません みなさんも西武線に限らず路線や鉄道会社の歴史を調べてみてはいかがでしょうか では、また。
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